平和安全法制その3

標記法制は、さる15日に衆院特別委員会・16日に衆院本会議を可決通過し、安部首相が米議会で演説したように、今国会での成立が確実となった。

この両日の晩におけるBSフジのプライムニュース・その後のメディア報道等につき、私が注目した事につき書いてみたいと思う。

まず、15日のプライムニュースの冒頭に中継登場した民主党枝野幹事長は、本法制は”立憲主義”に反するのみならず、日米安保などで日本が米国により防衛される等と考えるのは大甘であり、故に、領海警備法を発議していると論じ、”立憲主義”とは、(私が理解した限りでは)「確定した憲法解釈」に基づく立法・行政であり、この確定した憲法解釈では集団的自衛権の行使は、'72年見解において認められていない。故に、今回法制は”立憲主義”に基づかず、その次段階として、今回法制の要諦である限定的集団的自衛権の行使が憲法違反か否かの問題となり、それは、憲法違反だ、と主張していた(と理解した)
また、個別的自衛権行使の合憲性に関して問われた時に、氏は、それは憲法の”白地”解釈時点での問題であり、白地解釈の際は、様々な解釈・論争が可能であり、それが合法であるとの解釈が確定していると答えていた(と理解した)

この後段の回答については、自衛隊等は合憲だと、現民主党のみならず共産党まで含めた全ての野党も認めており、その根拠となるのが個別的自衛権行使の合憲性だから、それは立憲主義に適っているとの論法だと思われる。

しかし、これは明らかにおかしいのではないか
先の高村副総裁が登場した際に、氏は、「吉田首相が、(憲法制定時と警察予備隊創設時では)憲法解釈を変えた、のが(そもそものその後の全ての)問題(の始まり)」と”ボヤ”かれていたと記憶する。
巷間知られている、昭和21年の憲法審議中における所謂吉田・野坂論争で「近年の戦争は多くは国家防衛権の名において行われ・・・正当防衛権を認めることが偶々戦争を誘発する所以」であるとし、野坂共産党委員の主張する「戦争一般放棄ではなく、侵略戦争を放棄」すべきとの修正・解釈・論調には与していない。(これが、9条の白地解釈ではないのか)
その後、朝鮮戦争を契機として、”解釈”変更を行い、その後、数次の変更を経、'72年見解となって行っている訳である。
また、先の阪田元内閣法制局長官も、相応する”立法事実”(及び法理論)があれば、憲法解釈変更は立法上有り得るとの立場であった(と理解する)

従って、標記法制が立憲主義に適うか否かは、やはり、その要諦である限定的集団的自衛権行使が、憲法違反と解釈されるか否かによるのではないか

次に、前段の日米安保条約の”空文化”については、番組最後に発言された政治評論家の伊藤惇夫氏は、以前、後藤田正春元内閣官房長官から、「米国は、日本と中国と何れに与するか」と問われた事があるとし、今回標記法制が成立したとしても、今後の日米関係が、各国の”国益”によって、どう変化するか予断は許されないのではと述べられていた(と理解する)

また、7月19日付の日経”風見鶏”には、”自衛権”を首肯し、自衛隊そのもについては統治行為論を適用した砂川判決の前判決である東京地裁伊達判決が、(”旧”片務性につき)「(基地提供を行っているにも関わらず、安保条約により、米軍が)我が国に対する武力攻撃を防御すべき法的義務を負担するものではない」と判決しているとし、「安保史に照らせば、今回法制は「事実上の(”現行”片務性を、一部双務化する)条約再改定」に『近い』」と記している。
(なお、日曜夜のNHKスペシャルでは、岸元首相が(旧)片務性を解消する'60年安保改定は、国民の万戸の歓迎を受けると想定し、それを契機に”真”の日本国憲法とすべき憲法改正を考えていた、と報道している)

実は、私は、もう20年来?選択とTHEMISを購読しています。
立花隆氏が、「田中角栄研究」を記述した際、多くの田中番記者が「そんな事はみんな知っている」と言ったという有名な話があるが、メディアに属していても、大手マスコミでは書けないような記事が週刊誌等にのったりするようで、それと同類としたら両紙には大変失礼だとは思うが、一般のメディア報道では目にする事の出来ない、ある意味で貴重な情報をみる事が出来る。

それで、その選択4月号の巻頭インタビューで、現カーネーギ国際平和財団副所長のダグラス・パール氏の話が出ており、(安部首相米議会演説前であり、)氏は「集団的自衛権の行使容認(等は)、…宿題の様なもので、クリアしたからと言って褒め称えられるようなものでは無い」「今後中国との緊張関係が日本の手に負えなくなった時に、米国に鳴きつこうと言うのは甘い考えだ」と語っている。
更に、同月号のp55には、「安保法制に関与する政府関係者の一人は『…安保法制の全体像を正確に理解しているのは、政府の中で恐らく五人ほどしかいない』と言い切る。この中には安部首相・中谷防衛省大臣は含まれていない」とも書いてある。

この両文を併せ読んだ時、正直、日本の政治は一体どうなっているのかと空寒い思いをした。
勿論、かの佐藤優氏のインテリジェント、情報合戦・disinfomationの世界では、様々な情報が飛び交っているのであろうし、選択も、誰が”政府関係者の一人”や”五人”であるかを明らかにする事もないであろう。

安部首相は、20日地デジ8チャンネルで、住宅模型を使って、縷々、限定的集団的自衛権を”分かりやすく”説明され、また、国会答弁でも熱弁を奮われており、その気力・根気には、敬服すべき点も多々あるとは思う。

ただ、日本が、米国等と等しく、所謂、民主・法治の国であると言うのであれば、単に、国内的に、立憲主義・法治主義の立法・行政を行うにとどまらず、対外的にも、(双務的な)立憲主義・法治主義に則った”国家間”の外交を行うべきであり、それは、単に、与党政治家・行政官僚だけの務めではなく、野党も含めた全ての政治家・メディアの責務であると思われる。