Social Framework10

SFのシートが10枚になりましたが、SFを書こうと思ったのは、サムエルンも窮したと言うスタグフレ-ションの説明がAD-AS分析により簡明になされていたと言う驚きから、では、この20年に渡るデフレの説明乃至それへの有効な対処がどうして出来得ないのかと言う事に対して、このAD-AS分析を用いれば如何なる事になるのかと言うLaymanとしての単純な好奇心でした。

そして、それはSF2で記したようにスタグフレーションとは反対にAS曲線が下方シフトすれば、デフレの状態を現出する事が出来、その下方シフトは上方シフトの場合とは逆に(下方硬直的)賃金の(水準自体の)低下乃至生産性の上昇にあると言う事がスタグフレーションが生じる場合の理由の真逆として記していました。

一方、SF9迄で、マネタリスト・フリードマンの名目所得仮説によって、スタグフレーションがマネーサプライの過剰供給に寄った事は検証されるものの、デフレについては、その真逆である過小供給に寄る事は理論的には言えても経験的には言えない事から、マネタリスト・フリードマン的に賃金低下・生産性上昇がデフレを説明し得るかと言う事を見る事にしました。

しかし、ケインジアン的乃至AD-AS分析で、実際にそれらのケースについてそうなる事を説明乃至図示はしていませんでした。
それで、このマネタリスト・フリードマン的分析における賃金・生産性の影響を見る前に、ケインジアン的乃至AD-AS分析におけるそれらを見ていきたいと思います。

 

右の4連図は件の労働・生産・IS-LM・AD-Aに係るものであるが、まず、一番目のW-N図において下方硬直的賃金がwで価格をPとすれば、ケインズ的にN で労働市場は均衡する。
この時生産市場でYRがアウトプットされ、Mによって導かれるLMとYRの垂線上で交わるISによってが定まる
また、このISLMのPを変化させた時のLMとの交点の軌跡が4番目のP-YR平面上でADとなる。
そして、このAD上の(P・YR)と原点を結ぶ直線が、完全効用水準N0に対応する完全雇用所得水準YR0での垂線と交差する(P*・YR*)で屈折するケインジアンのAS曲線が得られる事は今まで記してきた通りである。
ここで、下方硬直的賃金の水準がからに低下したとしよう。
そうするとPには変化ないから実質賃金は低くなり、Nより大きいNで労働市場は均衡する。
これに伴い生産・所得もYRへと拡大するがM・Pに変化はないからLMにも変化はないが、IS曲線はYRの垂線上でLMと交差しなければならないので、ISへと上方シフトする事になる。
この時、P-YR図上でもADへの上方シフトが起こり、Pに変化はないので、AD 上の(P・YR)と原点を結ぶ直線が、新しいAS曲線の右上がり部分となる。この新しいASは明らかに元のAS曲線に対し下方シフトしており、(下方硬直的)賃金の低下がデフレ(Def-Pansion)を引起す事が示された事になる。

所で、この経済が均衡・完全雇用国民所得を実現する為には実質賃金が低下しwDとwSが交差する水準まで下がらなければならない。
この際にしろであれ、(完全雇用水準までは)下方硬直的であるから、実質賃金が下がる為にはPが上がる・高くならなければならない。
当然、であるから、完全雇用N0の時の価格はP*>P*となり、これがAS曲線が右上がりから垂直になる屈折点での価格であり、これは、P-YR図に示している通りである。

ここで、こう書きつつやや違和感を覚えた。
それは、SF4でも記したように、ケインジアンは下方硬直的賃金と共にPは外生的乃至一定と考える為に、当初のAS曲線は直角となり、この際、古典派とは違い実質賃金即ち価格が調整される事により均衡を回復するのではなく、IS曲線の右方シフト・財政政策又はLM曲線の右方シフト・金融政策、即ち量的な調整による均衡回復がその主張の眼目であった、のではと言う事である。
無論、この価格が一定と言う仮定は、右上がりのAS曲線が導入される事により修正はなされている訳であるが、IS乃至LMの右方シフトによりr-YR平面上ではYR0が達成されたとしても、その時、Pが動かない限り、下方硬直的賃金を前提とすれば労働市場では完全雇用N0にはなりえない訳であり、その点は、どう整理していたのであろうと言う事である。

そして、この違和感は、LMが”左方”シフトする事により経済が均衡に至る3番目のr-YR平面上での動きを描きながら感じた事でもある。
それは、上述、均衡に至る過程では必ずPは上がるからLM曲線は、基本、”左方”シフトする、と言う事である。
IS-LM分析における量的調整ではIS・LMが右方シフトをする事により均衡が達成される、と言う”固定”観念が私の頭の中ではコビリツイテおり、このLMの左方シフトがどうも最初は間違っているのでは、とシックリこなかったのである。
無論、上の図とは違いISとYROの垂線上の交点でLMが交わる様にLMを右方シフトさせる図も描く事が出来るが、この時のM/PはM/P*であり、一旦、3番目の図のLM(M/P*)まで”左方”シフトしたものが、M⇒Mへの”次元"の金融緩和により、”見掛け”上LMから右方シフトしている、という事に他ならない。
しかし、この事は、また、別の視点も与えてくれ、それは、図のようにMを固定してISの右方シフトだけにより均衡を回復しようとすれば、所謂クラウディングアウトにより金利がr*まで上昇する事になるが、Mを増加させる金融政策との併用により、財政政策の拡大を抑えつつrの上昇もコントロールできる所謂ポリシーミックスの考えが出てくる・成立すると言う事である。
例えば、LM(M/P)=LM'(M'/P*)とするようにMをM'迄増加させれば、LMとYR0の垂線上の交点を通る様にISを上方シフトさせる財政政策の発動だけでよく、この時明らかに均衡するrはr*より低い。

では、次に生産性が上昇した場合を見てみる事にしよう。

                      

まず、上の4連図と大きく違うのはwDとF(N)である。
今、生産性が上昇したと仮定している訳であるから二番目の図の生産関数のF(N)はF(N)へと上方シフトする
この時dF/dN=dYR/dN=労働限界生産力は、当然シフト後が大きい一方wD=dYR/dN=w/Pである事から、一番目の図に描いたように、生産性上昇後のwD曲線はwDへと上方シフトする事になる。
これらを踏まえ、当初、下方硬直的賃金w及び生産関数F(N)の下、価格Pとして雇用Nでケインジアン的に均衡しているとすると、生産・所得YRとなり、ISLMによりとなり、また、ADとASによりPYRで均衡している上の4連図と同じ状態が描かれる。また、この生産関数の下での完全雇用N0における均衡状態も、同様に描かれる。
ここで生産関数の生産性が上昇、F(N)がF(N)と上方シフトしたとすると、雇用数NNと変わらないが生産・所得はYRへと増加する。また、先の通りwDもwDと上方シフトしているから、N=Nの下、実質賃金が増加し、PPへと低下する事になる。
この時、IS及びMには変化はないが、M/Pは増加する事になりLMは右方シフトする事になる。
そして、そのシフトの度合いは、YRの垂線上でISと交差するまでの所でLMが描かれ、と低下する事になる。
また、このIS上でLMLMと価格を動かした時の均衡の軌跡がAD曲線である為にADは変化・シフトしない。
従って、このAD上の(PYR)と原点を結ぶ直線が新しいAD曲線の右上がり部分となる。
このASは明らかに下方シフトしており、Pが低下すると共にYRが増大するデフレ(Def-Pansion)となっており、生産性の上昇に伴うものである事が示された。             
一方、労働市場においては、生産性の上昇からwDはwDへと上方シフトするもののwSには変化がない。
従って、労働市場における均衡はN0からN0へと完全雇用水準が増大する事になる。
この時、実質賃金はwP*<wP*となりP*>P*と均衡物価は低くなる。
そして、N0<N0から均衡における生産・所得は、雇用増大のみならず生産性上昇にも伴ってYR*からYR*へと増加する事になる。
そこで、P-YR平面におけるASの垂直部分はYRとなり、先のASの右上がり部分はP*で屈折してこの直線と連続する事により生産性上昇後のAS曲線が描かれる事になる。
このF(N)における均衡は、Mを変化させないとすれば、LM曲線はLM(M/P*)と左シフトするから、YR*の垂線とこのLM(M/P*)の交点まで、ISを右シフトさせる財政政策によりISとなる事により達成され、その時のrはr*となる。
そして、このISLM曲線のシフトに伴い、ADADと右上方シフトし、(P*YR*)でASと交差する事になる。

上述から、ケインジアン的AS-AD分析において、下方硬直的賃金の低下及び生産性の上昇がデフレ;Def-Pansionを惹起する事が示し得たと思うが、いずれの場合も均衡回復がされた場合の物価乃至金利水準は低くなる事には相違はなかったが、生産性上昇の場合には、当然と言えば当然であるが、賃金低下の場合とは違い均衡所得YR*が増加し、また、完全雇用水準N*が増加する事が分かった。

そこで、本来の失業率の定義はともかく、今、失業率UN=(N*-N)/N*とすれば、生産性上昇に伴うデフレは失業率の増大を伴う?と言う事になります。

今、アベノミクスでは、雇用者数の100万人増加等の成果を挙げられていますが、雇用者数の増加=失業率の低下乃至完全雇用状態の回復へと結び付くものなのか
デフレに陥った原因との関係では、中々、即断し得ないものがある様に感ぜられます。