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所で、SFの主題とややかけ離れますが、フリードマンの名前が、彼が寓意的に提唱したヘリコプターマネーにより、最近よく話題となりました。

これは、THEMIS9月号(P12)によれば、その主導者の一人と言われるベン・バーナンキ*FRB前議長が昨7月来日し、黒田日銀総裁と会談した折、その政策採用の「打診に身構えていた黒田総裁はバーナンキ氏がそれには全く言及しなかった為、拍子抜けした」と言う事であり、現実に9月21日に公表された”アベノミクス”乃至”異次元金融緩和”の”総括”においてその採用はなされていなかったものの、”道半ば”のアベノミクスにおける(期待)物価上昇率2%の達成の為には、”バズーカ砲”に残された貴重な弾丸であったからだと思われます。

このヘリコプターマネー、ヘリマネについては、日経のコラム「やさしい経済学」で8回連載で早稲田大学若田部教授が解説されていますが、フリードマンは、1969年の「貨幣の最適量」の中で、「ある日、ヘリコプターが飛んできて空から1000$の紙幣を落としたとしよう。勿論このお金は人々が素早く拾うだろう。更に人々はこの事が1回限りのものである事を知っていたとしよう。」と述べており、更にここから、「貨幣が経済に追加され、それが回収されないなら、物価は確実に上がる」だろうと分析していると言う事です。

これが、ヘリマネの明確な”定義”だそうですが、勿論、この様な政策手段が現実に取られる事は不可能でしょうから、論者によりその定義は異なるし、現実の実行方法も、「政府が直接を発行する政府貨幣」・「政府債務を貨幣発行によって償還する債務マネタイゼイション」・「財政支出の金融政策によるファイナンス]・「中央銀行が家計に直接貨幣を渡す」等、種々あるそうです。
2003年の日本講演で「家計・企業に減税を行い、その財源を日銀の国債買い入れで賄う事を提案した」とされています。

ここで、若田部教授は、ヘリマネについて、微妙に紙幣ではなく貨幣と言う言葉を使います。

何故でしょう?

我々日常の言葉では、千円札や一万円札を言う時には貨幣と言う言葉は使わず、普通、紙幣と言うと思います。
一方、我々が貨幣と言う時には、普通は、500円硬貨とか100円硬貨を指して使うと思います。

そして、この貨幣は、春の桜の通り抜けや暮れの秤量試験で有名な財務省管轄の大阪造幣局(等)で製造される政府が発行するものであるのに対し、紙幣は日銀券と印刷されている通り日銀が発券する物です。

そして、貨幣紙幣にはこの発行体の違いから大きな差異が生じます。

まず、1971年の所謂ドル・ショックにより世界の通貨(=貨幣及び紙幣の意)は全て金との関連付けを喪失した不兌換”通貨”と成りました。
それまでの本位貨幣は一定の金を含有すると共に、紙幣はその一定の金と交換できる兌換紙幣であった訳です。

そこで、この金本位制から管理通貨制への転換に伴い貨幣発行に伴う利益の問題が出てきます。

この貨幣発行益をシニョレージ(Seigniorage)と言いますが、私がこの言葉を最初に聞いたのは、シアトルのワシントン大学のサマースクールの時であり、その時、講師が”Thank you for sending good cameras in exchange for papers"と言ったのです。
物=カメラと紙=ドルを交換してくれて有難う!と言ったのです。

無論、単なる紙と交換した訳ではなく、ドルですから、それで、原油とか鉄鉱石等が輸入でき、それで、再び、自動車等の輸出が可能となり、その後の日本経済の発展が可能となっていった訳であり、ドルを物質的に見れば紙である事には変わりませんが、それが価値を持っているのは基軸通貨であったからです。今でも、誰も、北朝鮮紙幣と交換する人はいないでしょう。

従って、私はシニョレージが基軸通貨と一体の概念であると思っていましたが、もともとこのシニョレージと言う言葉は、中世の封建領主を意味する仏語のSeigneur(シ―ネェール;スペイン語ではSeñorセニョ-ル)から由来しているようであり、京都大学岩本教授によれば、以下の3種に区分できるとしています。

1,鋳造利益:「コインの額面価格と含有貴金属原価との差額」
2,通貨発行益:「通貨の額面価格と通貨の発行費用との差額」
3,基軸通貨国特権:「自国の通貨が国際通貨として使用される事によるシニョレージ」

1で、岩本教授はコインと言う言葉を使われますが、後に続く定義から、貨幣の意になると思われ、更に、ここでは1両とか1ドュカートとかの貨幣単位・額面価格を持つ貨幣が流通している事が前提であり、それらは計数貨幣と言われます。これに対して丁銀等はその重さを秤量して使われる秤量貨幣と言われます。
そして、この1両とかにはある一定の金が含まれる事になり、即ち本位貨幣ですから、鋳造コストを一旦脇において考えれば、額面と原価に差は生じないと考えられます。
しかし、額面乃至貨幣単位に含まれる金の一定量を引き下げれば、旧1両と新1両では明らかに金の量が違う・価値が違う事になります。
当然、旧1両を新1両として使う人はいなくなる訳であり、「悪貨が良貨を駆逐」するグレシャムの法則が具現する事になり、昔の旧1両であった物は新両では当然新1両以上になるインフレーションが起る事になる訳です。
江戸時代のこの様な”改鋳”による貨幣発行益を”出目”と称し、逼迫した幕府財政立て直しの為に度々行われたようであり、かの元禄期における荻原重秀の改鋳が有名であり、その出目は500万両に達したと言われます。
但し、この改鋳については、経済発展に対し金(銀}の産出量が追い付かなかった為に所謂成長通貨の供給の意義があったとして、「貨幣は国家の造る所、瓦礫を以って之に替えると言えども行うベし」と言う現在の通貨管理制度を先取りした彼の言葉と共に、賞賛する見方が近年は強いようです。
所で、1ドュカートというのは、ベネチア(ベニス)の金貨の単位であり、純度0.997の24金3.56gに当たり、1284年製造開始から1797年の共和国崩壊至る5百年超の間、その純度を保ち続けたと言う(塩野七生「海の都の物語」上P270)事です。

2の通貨については、岩本教授は、続く説明で「現代の不換紙幣の場合も、基本的に同じメカニズムが働く」として、1万円札の原価が20円であるから、差額9980円がシニョレージになるとされます。
それで、なぜ、「紙幣発行益」と書かれないのか。
それには、2つの意味があると思われます。
ⅰ,まず、一つには、紙幣は、政府ー中央銀行の二元体制の下では、先の通り日銀が発行しますから、紙幣となる日銀券は、日銀のバランスシート上負債計上されます。
日銀が日銀券を市中銀行に発行すると共に手形や債権・国債(直近の異次元緩和においては買い取り対象が更に拡大し、ETF・REIT等にまで拡げた!)等が資産計上されます。
よって、日銀のシニョレージは上の9980円ではなく『「1万円の負債に対応して、・・・、資産によって生み出される運用益と、紙幣発行コストのとの差額」が、(実際の)シニョレージとなる。』と言う、非常に重要な点がある故と思われます。
ⅱ,紙幣は上の通り日銀が発行しますが、先の通り現在の500円硬貨等は政府が発行します。
これらは補助貨幣と通称されますが、それは紙幣がLegal Tender・法定通貨、即ち、紙幣を提供すれば債務弁済となるのに対して、補助貨幣は現行20枚を超える受取は拒否し得る・債務弁済に当たらないからです。
この点、以前の本位貨幣制の下では小額決済に使用された金を含まない50銭10銭硬貨等を補助貨幣と言った訳ですが、これら補助貨幣も先の計数貨幣、額面を持っています。
とすると、当然先の鋳造利器・シニュレージが発生する事になります
Wikipediaによれば、現在の貨幣発行益は、
1円硬貨;マイナス13円、5円硬貨;1円、10円硬貨;マイナス32円、50円硬貨;30円、100円硬貨;27円、500円硬貨;457円
だそうで、1円の製造コストは14円、500円は43円になると言う事の様です。
この政府で製造された貨幣は、額面で日銀に引き取られ、紙幣と共に市中銀行経由巷に流通するようになる訳ですが、政府にとっては、この貨幣引き渡しによる収入と製造コスト支出の差額が補助貨幣製造に伴うシニョレージとなる訳で、これは「年度末に”貨幣回収準備資金”経由、税外収入として一般会計」に繰り入れられるとの事です。
ここで、多分、”回収”という言葉が使われているのは、市中で使い古された硬貨が日銀経由回収される際に、額面で日銀から買い取る事になり、また、特別会計で処理するのではなく、一般会計に繰り入れられるのは、明治政府初期からの手続きであるからだろうと思われますが、ヘリマネを考える際には重大な意味を有する事になると思われます。
ともかく、岩本教授が紙幣発行益ではなく、どうして通貨発行益と言う言葉を選ばれたかは、現に政府がプラかマイナスかは判然としませんが、補助貨幣発行に伴う貨幣発行益を得ている為だと思われます。

3,の基軸通貨国のシニョレージについては、岩本教授は、「(海外からの)短期借り・長期貸しの長短金利差」を意味すると述べられています。
これは先の、カメラと紙の交換のイメージから程遠く、正直理解し得ないのですが、政府と中央銀行を一体と考える統合政府の観点からの考察が必要ではと思われます。
所謂、Twin Deficitの問題は30年前にはあれほど問題とされましたが、今ではほぼ誰も問題とせず、日本国債の対GDP残高がクローズアップされるだけです。
ここにも、基軸通貨国のシニュレージが実体何であるかを考えられる糸口がある様に感じられてなりません。

話がややそれましたが、上述の要点は、政府の貨幣発行によるシニョレージは本位貨幣であれば大きいものがあるが、補助貨幣では至ってマイナスの可能性もある一方、中央銀行の紙幣発券に伴うシニョレージも、発行券が負債と見做される為に基軸通貨でない場合は、大きな物とはならないと言う事です。

とすれば、政府が紙幣を発行すればどうなるでしょうか。
現行の通貨管理性の下では政府は本位貨幣は発行できませんし、紙幣は中央銀行が発券する事になっています。

そこで、先の若田部教授の『現実の実行方法も、「政府が直接貨 幣を発行する政府貨幣」』と、貨幣と言う言葉を使いますが、それに続けて、「ヘリマネの核心にあるのは(この政府貨幣発行に伴う)貨幣発行益(シニョレージ)の利用」ですと主張されます。

更に、先述「日本の一万円紙幣の製造費用は20円」程度ですので、一万円を政府が発行すれば、「9880円が利益として生み出される」と述べておられ、これは通貨発行権をもつ国の、税金とは「別の財源」とされています。

ここに、現在の管理通貨制度の下、微妙な役割分担・牽制関係を持つ政府と中央銀行間における貨幣発行・紙幣発券にかかるシニョレージについて、若田部教授が微妙な貨幣紙幣と言う言葉の使い分けをされる理由があると思われます。

従って、若田部教授はこの政府紙幣発行乃至ヘリマネの利用に当たっては、先述「政府と中央銀行を一つの物として考える視点が重要」で、「貨幣発行益を利用するヘリマネは、統合政府の政策と考えるのが最も妥当」ですと述べられています。

では、何故、貨幣発行益を伴うヘリマネは物価を上昇させるのでしょう。

若田部教授は、「国債発行収入」による「財政支出拡大」は、基本的に「将来の増税で償還」する事が見込まれるので、家計は消費拡大をしないが、ヘリマネによる場合は、「家計は将来の増税を心配する事なく消費する」事が出来、結果的に物価は上昇して行くとされます。
先の通り、貨幣発行益は一般会計に繰り入れられますから、ヘリマネによる発行益でほぼその分の歳出が賄える事になります。

また、現在の異次元金融緩和と相違する点は、インフレ目標が達成された場合における出口戦略として貨幣回収が想定されているが、ヘリマネの場合は先述「回収されないなら、物価は確実」に上がるであろう点が政策としての違いであるとし、更に、アデア・ターナー元英金融サービス機構長官の著書「債務と悪魔の間で」から引用して、「金融緩和を行うと経済規模に対し債務の割合が大きくなり、金融システムの安定性が損なわれる」が、「ヘリマネは、名目GOPを拡大しながら、債務を過度に増やさない一石二鳥の政策」と言う訳になるとされます。

このヘリマネの政策効果・物価上昇の程度については、若田部教授は「どの程度インフレになるかは状況によります」と述べています。

具体例として、
①18世紀ペンシルベニア植民地の政府紙幣
②米南北戦争時の両者の不兌換紙幣
③江戸時代の藩札・明治政府の太政官札
④第一次大戦後のドイツのハイパーインフレ(1兆マルク=Ⅰレンテンマルク)
⑤また、高橋財政による日銀による国債直接引き受け

等々を挙げられ、結局、「貨幣の発行は行き過ぎるとインフレに、少なすぎるとデフレになり、適度なら物価安定をもたらす」と言う「歴史が教えるのはこの当たり前の教訓」ですと総括されています。

この様に見てくると、ヘリマネの要諦は「経済状況により、適度な貨幣乃至紙幣・通貨の供給」を行う金融政策と言う事にはならないでしょうか!?

前述、荻原重秀の元禄改鋳は、元禄バブルを生み出し、新井白石の「小判の品位を慶長金」に戻す”逆”改鋳という”異例の事態”まで引き起こしましたが、バブル前の成長通貨の供給と言うフリードマンすら先取りした「通貨管理」を具現していた事が再評価されている訳です。

一方、平成の鬼平と持て囃された三重野元日銀総裁は、プラザ合意後の行き過ぎた金融緩和から、現在にまで繫がるデフレの、「バブル期乃至バブル後の遅すぎた金融引締め乃至行き過ぎた金融引締め」による「失われた10年を起こした」とされます。

また、黒田日銀総裁は異次元の金融緩和により2年で2%の期待物価上昇率を達成するとしてアベノミクスを高々と掲揚した訳ですが、今回の総括で実体的にはその失敗を認めているものとしか考えようがなく、10月18日付日経では『黒田日銀は「死に体」?』との記事も掲載される程です。

とすれば、現在の経済状況にあって適度なヘリマネ供給は、実際的効果を発揮し得るのでしょうか

SF13で、『「第二の鰐の口」の図自体は、単に、マネーサプライ・YN・YRというデーターの対数表示をしただけなので、如何なる経済現でそうなったかは別途、”鰐の口”が開いているのは事実なのである。
なお、かつ、YNが減少して行く中で、YRが増加して行くならば、P即ち物価が下落して行く、def-Pansionに陥るのは、YR=YN/Pと言う恒等式・定義式から自明の事なのである。』と書いていますが、若田部教授は、「経済学では未解決の問題は多いのですが、どうすれば名目GDP(=YN)を増やせるか」と言う問題に対しては、「ヘリマネと言う解決策がある」のですと書かれています。

何故なら、「家計に十分な額の貨幣(=ヘリマネ)を渡せば、(将来の増税を懸念する必要がないので)必ず支出額が増え、名目GDP(=YN)は増え」るからと言う訳であり、先の、ターナー元英金融サービス機構長官の一石二鳥論にも通ずる訳です。

如何なる経済現象でYNが減少しているのかは別途、ヘリマネを渡せばYNは増えます、と言う事です。
風邪の原因は分からなくとも、抗生物質を飲めば、治りますと言う事です。

確かに、そういう一面もあるかもしれません。

しかし、インド準備銀行のラグラム・ラジャン総裁は「人々がお金を貯め込んでしまうから(ヘリマネは)有効性に乏しい」と批判しているとも若田部教授は書かれています。

所で、マネーサプライで「いずれにしろ、準備預金増大によるハイパワード・マネーの供給では、貸出金の増大市中への有効な日銀券の供給ルート無しでは、マネー・サプライの増大、ひいては、物価上昇・景気拡大に結び付かない事は、信用創造のプロセス・現在までの”量的”緩和政策の経験から、明らかなものとなっているのはないかと考えます。」と書いていますが、この「貸出金の増大」無しには、マネー・サプライの増大、ひいては、物価上昇・景気拡大に結び付かない」と言う事については、経済学者やメディアの論調には浅学の故、殆ど見た事がありませんでしたが、先の国会で麻生財政大臣が所謂「ブタ積み」にはほとんど効果がない趣旨の答弁をされ、それに続く黒田総裁が、苦り切った表情(最も、普段からの表情で、さしたる感懐は無かったのかも知れないのですが)で、確かに「アベノミクスは道半ばであります」と答弁されており、少なくとも財務省筋では、この点については、普通の認識かなと思った事がありました。

これに対し、若田部教授も、「金融機関への貨幣供給量(ハイパワードマネー)をどれだけ増やしても、金融機関の融資が伸びないと、世の中に出回るマネーの量は増えません。」と明確に述べられています。

そして、「世の中のお金の量を確実に増やす手として、ヘリマネと言う(フリードマンの)比喩が使われているのです」とこれまた、明確に述べられています。

そこで、ヘリマネに関し様々な定義・実行手段が言われているのは、上述、政府・中央銀行の区別から来ている所が多々あると思われるので、一体としての統合政府が、文字通り、空から、ヘリマネ(=H)を散布したらどうなるでしょうか

この事により、確かに、「世の中のお金の量を確実に増やす手段」乃至「市中への有効な日銀券の供給ルート」である事は間違いないと考えられます。

そして、それを拾った家計乃至企業は現金・預金比率qに従って、現金保有q/(1+q)*H及び預金保有1/(1+q)*Hに分けることになろう思います。
そして、この場合の預金保有と言う事が、実体的な、若田部教授が述べる「(ヘリマネにより)必ず支出額が増え』ると言う事に対応する、と考えられると思います。

とすれば、ラグラム・ラジャン総裁の言う、「お金を貯め込んでしまうから(ヘリマネは)有効性に乏しい」との議論は、ここではqの値如何と言う事になり、ヘリマネの有効性が無いと言う事までは言えないと思われます。

そして、問題はむしろ、支払準備率sに従い銀行の貸出金(1-S)/(1+q)*Hが、無限連鎖的に増加して行くか、まさしく、異次元の量的緩和策が直面する「貸出金の増大」乃至「金融機関の融資」が伸びるかどうかと言う同じ問題に直面すると言う事であろうと思います。

ここで、単に計算数字として、q=0.1、s=0.01として試算すれば、無限等比級数和としての預金は9.091となりますが、2段階目までの預金の和は2.10にしかなりません。

確かに、ヘリマネが発行された場合に統合政府としてのシニョレージにより統合政府としての債務残高の拡大が抑えられ、又は、至って減少させ得る事もあり得るであろうし、その反面としての、家計乃至企業が将来の増税懸念の頸木から解離されて、消費を増大させる事も有り得るとも考えられるますが、問題は「貸出金が増大」するのか、信用創造の過程が連鎖を続けるのか、即ち、家計の消費・企業の投資活動が拡大し続けるのか、その様な「経済状況」にあるのか否かが、それこそが、例え、ヘリマネを投入したとしても、本来問われるべき問題として、また、姿を現すであろうと思われます。
従って、無論、ヘリマネの核心がシニョレージの利用にある事の全部を否定する訳ではないのですが、ヘリマネが「世の中のお金の量を確実に増やす手段」乃至「市中への有効な日銀券の供給ルート」である事が、むしろその効果乃至より核心なのではないかと考えます。

最も、先の「風邪の原因は分からなくとも、抗生物質」は効くのでしょうから、「適度な貨幣乃至紙幣・通貨の供給」という観点からは、ヘリマネの供給高と言う事も問題になろうかと考えられます。

この点、異次元の大量緩和は市中へのルートを直接的には持っていない訳であり、400兆円にまで積み上げた国債も効果がない!?訳ですが、ヘリマネの核心は市中へのお金の直接供給(と私は考える訳)ですから、確実にその分のマネ-サプライは増えます。

問題は信用創造乃至乗数効果によるマネーの自律的・乗数的拡大にある訳ですから、適度が如何なる額を想定するかは、この信用創造過程と関連する事になります。

先の試算数字では、級数和は9.1弱ですから、信用創造が貫徹されれば、10兆円の政府紙幣をばら撒けば約100兆円のマネーサプライ増加になり、約1千兆のM2に対し1割となります。

無論、この様な信用創造が”何等かの理由=経済状況”でなされていない為に、異次元金融緩和も効果が無い!?訳であり、この点、上述試算からは、第二段階目までの信用創造で級数和が2.1となりますから、例えば、100兆円のヘリマネをばら撒けば210兆円のマネーサプライ-増加、M2の2割となり得ます。
とすれば、異次元金融緩和によるマネーサプライ増加は、せいぜい数パーセント台なのですから、インフレーションが起こるには十分と言えるのかも知れません。
*ちなみに、SF7で引用した文献による分析期間の「46~48年度のMの実績増加率(は)、22%・24%・21%」でした。ー逆に言えば、マネーサプライが何%伸びれば何%のインフレーションが起きるとは、経験的=相関程度からある程度憶測はなし得るが、実際的には、やって見なければ、起って見なければ分からないのではと言う事です。

所で、正しく、この100兆円と言う規模は現在の国家予算規模であり、簡単に言えば、予算全体を税金とか国債ではなく、政府紙幣で支払うという事になります。

ヘリマネーの例として上述色々なものが挙げられていますが、若田部教授は戦時中の軍票も含まれるとしています。

”日本軍”は、日清戦争以来、当時の金本位制の下、軍事費獲得に様々な苦労をし、先の高橋是清も為に暗殺された一面もある訳ですが、日支事変中の”アヘン”にある程度裏付けられた軍票どころか、インパール戦においては、ジンギスカン遠征と称し、現地調達で物資を調達した所は、全て、軍の権力・権威があったが故です。
従って、当然、軍が敗退すればそれらは紙くずとなる訳であり、誰も退蔵しようとする訳がない半面、誰も受取ろうとはしない故に、流通もする訳がないのです。

この点、今、政府紙幣100兆円が発行可能なのでしょうか

これについては、先のドイツのハイパーインフレーションの時に「(ドイツ)国内の農商工業の全資産を担保に金マルクと同価値の1レンテンマルク紙幣を発行」し、その発行限度を厳守する事により物価安定を実現した((鯖田豊之「金が語る20世紀」P151)とあります。

どの様に国内資産の評価を行ったのかは分かりませんが、詮ずる所、国力・国家信用程度により定めたと言う事かと思われます。

とすれば、二重式簿記による国家ネット資産試算乃至国富統計等色々数字はあり得ると思われますが、日本の国力・日本の信用程度からは、いや全然違うと言う事になるのかは知れませんが、あながち100兆円の政府紙幣発行が不可能と言う事でもなさそうな気はします。
即ち、国内で、支払いや受け取り、預金預け入れや払い出しが今の日銀券同様出来得る、別の言い方をすれば、退蔵され得るし信用され得るのではと言う気もします。

以上は、勝手にq・sを仮定した試算による想定にしか過ぎませんが、しかし、例え、実際的数字を基に精密なシュミレーションを行ったとしても、結局、統合政府として、即ち政府・日銀一体となって、このようなヘリマネ導入の政治決断ができるのか・金融政策実行決断が出来るのか、と言う事になり、それは又、結局、現状の経済状況が如何なる原因・過程でその様な状態になっているかの”理論的実体的解明・裏付け”無し*では、出来ないと言う事になると思われます。
*sについては、金融政策的数値ですからコントロール可能と思いますが、qについては現状の数値は計測可能と思われますが、ヘリマネの投入に伴い変化するのかしないのか、上述、政府紙幣の信用がおかれる程退蔵(現行マイナス金利が個人預金に及ばなければ銀行預金に、及べばそれこそ箪笥預金になろう)されやすくなるという皮肉な面もあると思われますから、その測定には困難な面があろうかと思います。そして何より、信用創造の連鎖過程ー貸出金の増大過程が、0金利の導入を行ってすらも何故進捗して行かないかのという経済の実態に対する認識・解明が"ある程度"十分と思われる程になされなければ、マネーサプライ増殖の程度は想定され得ず、逆に、政府紙幣投入規模の適切な判断も出来ないと言う事になると思います。

そして、その点、異次元の金融緩和は、ともかく、政治・金融の一定の合意を得られたが故に現実の政策として実行に移され得た訳ですが、、ヘリマネの導入には、未だ、"統合政府”としてのリスクを冒すだけの確証・確信が持てない、逆に言えば、未だ現実経済には、それまでのリスクを冒させるほどの切迫感を政治・金融にもたらしていないと言う事なのかも知れません。