平和安全法制その2

9日及び10日のBSフジのプライムニュースは、標記法制の裏側乃至実態的策定過程及び出席者の人となりが窺われて、正しく、メディア報道は斯くの如くあるべきであり、日本メディアの良質の部分を見せてくれたと私には思われた。

まず、9日の番組では、陸・海・空のそれぞれ元・前の幕僚長が出席されていたが、そのお人柄・ご発言は、ある意味抑制され、真摯であり、所謂CivilianControlは、現状、全く危惧される事はないのかと感じた。

そして、政府が、制限的(乃至限定的)集団自衛権の行使が必要となる事例の内、「どうしてそう言う事になるかはよく分からない」と先に書いていた「朝鮮半島有事(乃至、見込まれる)場合に、邦人輸送に当たる米艦船」保護の例につき、海上幕僚長であった方が、同じく、「何故、そのような事例が提起されるのか、全く、分からない」と言われていた。

氏は、韓半島に4万人弱の邦人がいるとしても、有事の際に、米国等外国もそれぞれの自国民救出が優先されるのであろうから、邦人輸送に当たる米艦船保護の例は、どうしても納得がいかず、むしろ、日本艦船がどの様に対応するかを考えるべきではないかと発言されていた。(また、尖閣諸島が擬装漁民に占拠された場合の奪還もよく議論・問題とされるが、問題は、どの様に、偽装難民等に占拠されないようにするかではないかとも発言されていた。)

確かに、氏の言われる事が私も正論だと思われ、何故、日本艦船による輸送乃至救出が想定されないのか。日本艦船による輸送が、何らかの理由・事態により不可能乃至不十分であり、それで、米国等に依存せざるを得ない事から、そこから付随して、米艦保護に係る集団的自衛権の行使の問題が生ずるとして、初めて、「事例」足りうると考える。
日本艦船による輸送乃至救出の困難性を何等議論・明確にせず、集団的自衛権の行使が必要となるような事態を無限定に想定して、だから集団的自衛権の整備が必要となる、という論法は、全くの循環論であり、トートロジー(tautology)にすぎず、所謂、「丁寧な説明」には到底なりえないと思わざるを得ない。

次の10日の番組には、高村自民党副総裁・阪田元内閣法制局長官及び元外交官である宮家邦彦氏が登場され、議論として、国会論争と全く違って、真摯な、咬み合った、即ち、論点の違いが明瞭になる議論がされていたと感じられた論争内容であった。

阪田氏は、件の衆院特別委員会で、標記法制につき違憲として、世論の形成に大きな影響を与えたお一人であるが、何故、違憲と考えられておられるかについて、憲法解釈の変更について他の一般法案同様、法文は、過去に書かれたもの故、その解釈が時代の変化と共に変化していく事は当然であり、それ故、集団的自衛権についても、憲法解釈上認めうる事は論理上ある。しかし、それには、法理論上・立法事実上、”納得”し得る説明が必要であり、現行政府提案上、それがなされていない為に、違憲と判断せざるを得ない。(制限的)集団的自衛権については9条の枠外であると、政府は50年以上安定して解釈してきたのであり、これを認めるには、解釈変更の限度を超えた法案が改定されているのと同じく、憲法改正が必要である旨の発言をされていた(と理解した)

これに対し、宮家氏は、ご自分のイラン・イラク戦争での経験からも、現実の政治・外交上、インテリジェンスの観点から、”公”に出来ない事柄があり、米国同様、国会の秘密会での議論となれば野党も十分に納得し得るのでろうが、現実、それが出来ない以上、”政府が、判断して行く”べきものである旨の反論をされていた(と理解した)

そして、高村副総裁は、法理論はともかくも立法事実なるものは、所謂官僚用語であり、その様な難しい概念を持ち出すまでもない。確かに、自分が外相(?)時代に、集団的自衛権は阪田氏が言う憲法9条の枠外である旨の72年見解を踏襲していたが、それは、当時の内閣の1員としてであり、我が国の安全保障環境が変化した現在においては集団的自衛権に対する見解・解釈は変化すべきものとの発言され、加えて、宮家氏が提唱する秘密会は(言論統制が問題となったような)現下、出来るものではなく、また、阪田氏の言に反し、十分、ご理解できるように、説明しているものと考えている旨発言された(と理解した)

高村氏は、中央大卒で23歳で司法試験を合格された自民党でも指折りの法律専門家との事であり、昔でいう党人派の方の様である。一方、阪田・宮家両氏は、東大法卒の所謂上級職(現Ⅰ種)のエリート官僚であり、阪田氏は、旧職上、司法試験も合格されている筈の、現状弁護士の方の様である。

内閣法制局と言う組織自体については、色々と巷間話される事が多いが、高村氏の”官僚用語”との発言には、”党人派”としてのある種の思いが込められている様に感ぜられたし、宮家氏の現実の情勢・事態を直視するべきとの話には、現実(議員立法に対する)行政立法における内閣法制局の厳格さに対するこれまた各省の思いが込められている様に感ぜられた。更に、これに対する、阪田氏の反論(?)には、法治国家としての法的整合性の保持乃至立憲国家として最高裁から違憲判断を下されるような立法を許さない・見逃さないとの強い意志が感じられた。

各氏の発言を斯様に感ぜられる程に、各氏は真摯に忌憚なく議論されたと思う。

そして、その様な各氏の発言の中で、何故今この平和安全法制が必要か、集団的自衛権の行使が必要となるのかと言う事に対し、高村氏が、昔の米国は、日本を防衛する意思も能力もあったが、日本や中国も変化しているが、米国自体も変化している。80年代、デトロイトでトヨタ車がハンマーで壊され、日本の為に何故米国の若者が血を流さざる得ないのかと言われ、湾岸戦争で90億ドル~130億ドルを拠出しても、show the flagと言われ、90年代日本が長期デフレに陥ってからは、表面的には、その様なあからさまな言動は収まっているかのようではあるが、ホルムズ海峡の機雷撤去も含めた事例の如く、日本を防衛しているのであるから、その様な米国を含めて、その限りで、防衛・共闘してくれと米国が言っているのだから、それに答える必要がある。そして、政府・与党としては、その中に、国際政治・国際法的には集団自衛権の行使と認識されるものがある故に、”芦田修正”に基づくものではなく、従前の政府憲法解釈の延長上として、制限的(限定的)集団自衛権の行使は認められるとしているのだと言う旨の発言があった(と理解した)
(そして、その様な米国の要請に対し、先に記したようにガイドラインと言う形で、既に、日本はコミットしている訳である)

この高村氏の発言は、聞いている限りの安部首相の国会発言とは異なり、直截・真摯なものであり、この様な話の延長上で、先の韓半島有事の際の邦人輸送に関わる例も考えると理解し得るのではないか。

即ち、日本としては、まず、日本の艦船による邦人救出輸送を行うが、その能力が及ばず、米国に依頼する必要が非常に高い。それで、その様な依頼・シュミレーションを行ったが、その際、米国側から、依頼は受けるが、その分、その輸送に係る防御は日本軍艦でやって欲しいとの条件が付けられた、と言う事である。
そして、この様な日本の能力不足・米国の条件等は、宮家氏の言うインテリジェンス上、表に出せないが故に、海上幕僚長であったとしても、既に現職を離れた方では、この様な事例は理解不能となってしまった、のではとの解釈である。

所で、宮家氏は、その発言の中で、日米安保条約は強固なものであるが、他の第三国は常にこの日米安保条約の無力化・”一片の紙”にすべく策略をしかけてくるので、今次法制等を整備して今後とも日米安保条約を確固たるものにしなければならない旨発言されていた(と理解する)

しかし、日米安保条約において、確かに、日本は米国と共同対処するのであるが、それは飽くまで日本施政権下においての事ではないのか。
日本施政権外での共同対処乃至米軍防衛の義務はない筈である。
日米安保条約は、その意味、先に書いたように片務的であった筈である。

外交条約と言うものは守られるべきものである筈だし、守るべきものである筈である。
しかし、先の大戦で、日ソ不可侵条約は、米国等の要請か否か、はたまた、それらの暗黙の了承があったのか否か、無残にも踏みにじられた。
そして、日本には、その条約違反を止める・咎める・国際法上の問題とする能力は無かった。
”仕方無かった"出来事であった。

しかし、現在の政治情勢・時代環境は、全く、相違する筈である。
尖閣問題の発生に際し、米国が、尖閣が日米安保条約の対象に含まれると明言・鮮明にするまでに相応の時間がかかっている。
高村副総裁が、直截に話された米国の変化の中で、この明言を勝ち得ていく外交折衝の過程で、日米安保条約が実質的に(部分的)双務性を帯びる物に変化してしまったと言う事であれば、今回、法整備の一環として安保条約も改定すべきであろう。

逆に言えば、そうすると、法理論的には憲法違反が明確となる為に、ガイドライン改定にすませ、現行の法案となっているか。
laymanとしては全く不明であり、推測にしか過ぎないが、少なくとも政府として今次法制は現行憲法の枠内と考えるのであれば、安保条約を改定する(発議をする)事は可能と考えるべきであろう。
何故なら、条約が憲法違反であれば条約は締結され得ない・破棄されるべきものとなるからである。
(そして、現行安保条約については所謂統治行為論が適用されている)

従って、何故に、平和安全法制が憲法違反か否かばかりが議論され、安保条約の変質が国会・メディアで問題・議論されないのか。

全く、私には不可思議としか言いようがないが、ここに日本の戦後70年、いや、明治維新以来の”日本の政治の日本らしさ”が如実に現れているような思いがしてならない。