西浦シュミレーション 青年将校論

「新型コロナで42万人死ぬ」という西浦モデルは本当か
架空シミュレーションで国民を脅す「青年将校」
2020.4.17(金) 池田 信夫

(池田 信夫:経済学者、アゴラ研究所代表取締役所長)
 4月15日、厚生労働省の新型コロナクラスター対策班の西浦博氏(北海道大学教授)は、記者会見で「人と人との接触を8割減らさないと、日本で約42万人が新型コロナで死亡する」というショッキングな予測を発表した。マスコミは大騒ぎになったが、菅義偉官房長官は翌日の記者会見で「政府の公式見解ではない」と否定した。これはどうなっているのだろうか。
85万人が重症になって42万人が死亡する
 西浦氏は、日本では数少ない疫学理論の専門家である。彼が発表したのは「感染拡大の防止策を実施しなかった場合、重症患者が累計85万3000人になり、その49%(41万8000人)が死亡する」というシミュレーションである。
 どういうモデルで計算したのかはわからないが、4月15日にクラスター対策班のツイッターで次のような図が出た。


厚労省新型コロナクラスター対策班ツイッターより
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 まずわからないのは、今、このカーブのどこにいるのかということだ。横軸の0が現在だとすると新規感染者が毎日500人ということになるが、これは4月9日ごろのデータと一致する。したがってここから放置した場合に感染爆発が起こると想定しているものと思われる。
 これだと日本の新規感染者数はこれから指数関数的に増え、4月25日には毎日1100人に激増するはずだが、これは統計データと合わない。新規感染者数は4月12日をピークに減り始め、15日には455人である(厚労省の集計)。
ここで西浦氏の説明をよく読むと、これは「新型コロナウイルスに対して何も対策をしない丸腰だった場合の数字」だという。その根拠になったのは、武漢のデータだという。これは日本が初期の武漢のように何もしないで感染爆発したらどうなるかという計算なのだ。
シミュレーションではなくフィクション
 これに対して官房長官は「(試算の)前提とは異なり、すでに緊急事態宣言を発出して、国民に不要不急の外出自粛など協力をお願いしている」とコメントした。西浦氏も「実際にこうなるとは思っていない」と認め、「個人的な立場で発表した試算だ」という。
 彼はこの試算で何をいいたかったのだろうか。おそらく「8割の接触減をしないと医療が崩壊する」という警告だろう。
 日本経済新聞のインタビューでは、「流行の始まりから終わりまでに重篤な状態になる人が15~64歳で累計約20万人、65歳以上で同約65万人にのぼる。政府は人工呼吸器を1万5千台以上確保する方針だが、人口10万人当たり10台程度にとどまる」という。
 これは奇妙な話だ。85万人の重症患者に1万5000台しか人工呼吸器がなかったら、80万人以上が死亡するだろう。しかし今の全国の重症患者数は168人。人工呼吸器には十分余裕がある。
 西浦氏は3月19日の専門家会議の資料で「感染爆発(オーバーシュート)が起こる」というシミュレーションを発表したが、その後も爆発しなかった。
 このとき想定していた基本再生産数(1人が何人に感染させるかという係数)は2.5だったが、専門家会議の実測データでは実効再生産数は1以下。このときから理論と現実が大きくずれていた。西浦氏はずっと再生産数は2.5だと主張し続けてきたが、現実には感染者数は4月上旬でピークアウトした。
 要するに彼のモデルはデータを無視したお話であり、彼の「感染爆発する」という予言は外れっぱなしだった。これはシミュレーションではなくフィクションなのだ。
政府を踏み超えて暴走する「クーデター」
 西浦氏は政府の諮問機関である専門家会議のメンバーではなく、厚労省クラスター対策班の現場メンバーに過ぎない。なぜ彼は専門家会議の頭越しにこんな非常識な(自分でも信じていない)数字を発表したのだろうか。バズフィードのインタビューで彼はこう語っている。
 科学的なエビデンスに基づいて、現時点でどれぐらいが亡くなると予測され、どれぐらいが重症になって、人工呼吸器やICUのベッドなどがどれほど足りなくなるかを示しました。
 あの公表は、猛反対を食らいました。厚労省の幹部たちからも「いいのか?」「この図はどうしても削除できないのか」など、かなり事前に止められたのです。僕は一歩前に進むことをあの時に決断していました。
 その「一歩前に進む決断」が今回の記者会見というわけだ。彼の動機は感染症の専門家として感染爆発を放置することはできないという純粋な心情だろうが、その結果、日本中が大騒ぎになり、緊急事態宣言が全国に拡大されることになった。
 これは偶然とは思えない。4月7日に安倍首相の発令した緊急事態宣言も、西浦氏の「東京都で感染爆発が起こる」というシミュレーションにもとづいていた。今回も緊急事態宣言に消極的な官房長官を押し切る形で、それが全国に拡大される。
 全国で外出を自粛させれば、毎日450人増える感染者が400人に減るぐらいの効果はあるかもしれないが、これでGDPが3割吹っ飛んだら、日本経済は壊滅する。日本経済は、感染症の研究者が考えているよりはるかに複雑なのだ。
 それを総合的に判断するのが政府の役割だが、西浦氏は意図的に政府を踏み超え、マスコミに訴えて自分の主張を押し通す道を選んだ。これは1930年代に日本を軍国主義に導いた「青年将校」と同じである。
 あのときも彼らは農村の貧困を救うためには日本軍の大陸進出が必要だと考え、それをためらう政府首脳をクーデターで暗殺した。民衆は純粋な青年将校に拍手を送り、1931年の五・一五事件では助命嘆願に100万を超える署名が集まった。
 西浦氏の「クーデター」が戦争を誘発するとは思えないが、政府の意思決定を混乱させ、日本経済を破壊することは間違いない。マスコミはこぞって彼の勇気をたたえ、緊急事態宣言は「遅きに失した」という。これもいつか来た道である。
 その結果、倒産や失業で新型コロナの死者よりはるかに多くの命が失われるだろう。1998年に金融危機で日本経済が崩壊したとき、自殺者は2万3000人から3万1000人に激増し、その後も長く3万人台だった。「金か命か」などというトレードオフは存在しない。金がなくなると、命も救えないのだ