現代ビジネス責任論



このままでは、コロナ自粛は「国民が勝手にやったこと」にされてしまう
政治の「責任」はどこにいったのか

平河 エリ「読む国会」主宰/ライタープロフィール
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「お前たちの志願である」
太平洋戦争時、神風特別攻撃隊の志願者を募るとき、玉井浅一中佐はこう言った。
「お前たちは誰より可愛い。だから一番可愛いお前たちを日本の歴史に其の名を載せて、悠久の神として祭ってやりたいのだ。この気持ちをわかって欲しい。ただし、これは命令ではない。あくまでもお前たちの志願である」(神立尚紀、大島隆之『零戦 搭乗員たちが見つめた太平洋戦争』講談社)
すべては「志願」だった。命令は存在しない。志願である。だから、上官の責任は存在しない。特攻隊員は志願し、死んでいった、とされる。
実際のところ特攻が志願だったのか命令だったのかという論争は脇に置くが、少なくとも当時の軍隊に置いてそれが「志願」と扱われていたことは事実だろう。
この構図を現代に当てはめるとどうなるか。
西浦博教授は、謝金ももらっておらず、ホテルも自分で探していると、インタビューで述べている。最前線で働く医師も、国から特別の手当を受けているわけではないらしい。なぜなら、それらはすべて「志願」して行われたことだからだ。
新型コロナウイルスでは「自粛要請」が行われているが、残念ながら多くの識者が指摘する通り、十分な補償が行われていない。「自粛」を「要請」するという矛盾した言葉遣いに現れているとおり、「飲食店は勝手に休業しているから補償は必要がない」ことされてしまうのだ。勝手に自粛しているのだから補償は必要ない。勝手に休んでいるのだから、生活を支援する必要はない。みんなそれぞれ「自分の意志で」休んでほしい。

政治が責任を負わず、国民・市民の行動は「志願」と読み替えられてこの国は回っている。


森友問題とコロナ危機に通底するもの
2018年3月7日。一人の男性が亡くなった。
赤木俊夫さん。享年54歳。近畿財務局の上席国有財産管理官だった。彼は、財務省の文書改ざんを苦にし、自死を選んだ。これは一連の森友学園問題における、最も悲しい出来事であった。
この直後で見る通り、赤木さんの死について、安倍晋三総理は国会で「責任を感じる」と述べている。しかし周知の通り、安倍総理はこの件について十分な調査を指示することも、自分の行動が自死の原因であるとして辞任することもない。
「責任を取る」「私の責任において」安倍総理はこれまでこうしたセリフを乱発してきた。
「責任」という言葉は大きく分けて、1.なすべき務め、2.失敗が生じた場合に責めを負うこと、という二つの意味をもつ。総理大臣が責任を負うといえば、ある問題を解決するためにあらゆる手段をとるか、失敗の原因は自身にあるとして職を辞すかの二つだろう。
ところが安倍総理が、この意味での「責任」に応じた例は極めて少ないと言える。それは、今の新型コロナウイルス問題への対応における政府対応の遅れにも如実に現れている。危機的状況にあって、「国民の生命・自由・財産を守る」という政治がなすべき仕事に、総理大臣が全力に取り組んでいるようには見えない。赤木さんの自死とパンデミックへの不十分な対応は、この点で通じるところがある。

責任」という言葉を連発してきたが…
赤木俊夫さんの遺書が見つかり、野党議員が質問する中、国会において、安倍総理はこう述べた。
「真面目に職務に精励していた方が自ら命を絶たれたことは痛ましい出来事であり、本当に胸が痛む思いであります。(中略)国民の皆様の信頼を揺るがす事態となってしまったことに対しまして、行政府の長として大きな責任を痛感をしております」(参議院総務委員会/令和2年3月19日)
総理は、大きな責任を痛感しているようだ。
ところで前述の通り、一般社会に置いて「責任を痛感」していると表明することは、当の問題の解決のためにあらゆる手段を取るという意味を持つ。
「国会議員としては、様々な疑いについては国民の皆様に対して説明を果たしていく責任を負っていると、このように考えております」
「政治の場において私が判断した以上、政治の場、政府としてしっかりと対応していきたい、責任を持って対応していきたいと、こう考えているところでございます」
(参議院予算委員会/令和2年3月3日)
「私がここで総理大臣として答弁するということについては、全ての発言が責任を伴うわけであります。そういう観点から答弁をさせていただいているということでございます」
「それは、私どもの事務所が、皆様から要望があったから、それを全日空側にこれはお尋ねをしてお答えをいただいて、ここで私が責任を持って述べているわけでございます。それを信用できないといって、更にまた全日空側に書面で出せということまでやるというのは、いささか要求が強過ぎると私は思うわけでございまして……」(衆議院予算委員会/令和2年2月17日)
かように、総理は国会で「責任」という言葉を多用している。しかし、ここで問いたいのは、一度でも総理は何かの責任をとっただろうか、ということである。
総理の言う責任とは何か
総理は、臨時休業・休校に関わる様々な国民の負担に、責任を持っただろうか。様々な疑いについて責任を持って説明しているだろうか。責任という言葉は空転を続けてきた。
そしてついに安倍総理は、責任を負う姿勢を見せることすら放棄する。安倍総理が緊急事態宣言を行った4月7日、外国人記者の「失敗した場合どのような責任を取るのか?」という質問に「例えば最悪の事態になった時、私が責任を取ればいいというものではありません」と答えた。
「責任を取ればいいというものではない」なら、総理が散々述べてきた「責任を持って対応」の責任とは、一体なんなのだろうか。
議会の議事録を紐解くと、安倍晋三衆院議員はこれまで国会において「責任」という言葉を2462回発言している。
これは部分一致なので、「無責任」などの類似語もあるにはあるが、最近の発言の多くは「責任を持って」「責任がある」など、総理としての責任に言及している。
いくつか引用しよう。
「今回の休校に伴って生じる様々な課題に対しては、政府として責任を持って対応することとしており(後略)」(第201回国会参議院本会議/令和2年3月6日)
「学校の臨時休業は、これは私が決断した以上、責任を持って、御指摘も含めて、これによって生じる様々な課題について万全の対応をする決意でございます」(参議院予算委員会/令和2年3月4日)
総理が初めて総理大臣になった第165回国会。彼は4回、所信表明で「責任」という言葉を使った。
「私は、国民との対話を何よりも重視します。メールマガジンやタウンミーティングの充実に加え、国民に対する説明責任を十分に果たすため、新たに政府インターネットテレビを通じて自らの考えを直接語り掛けるライブトーク官邸を始めます」
今こそ、国民に対する説明責任を十分に果たしてほしい。国会で散々述べてきた「責任」とは、一体何だったのか。総理大臣が何より重視していると言う「対話」を行ってほしいのである。
責任の放棄は繰り返される
指導者が「責任」を取らないのは今に始まったことではない。冒頭で紹介した太平洋戦争の例で見た通りだ。それが、何十年も変わらないこの国のかたちなのだ。
北海道大学の西浦博教授は、謝金ももらっておらず、ホテルも自分で探していると、インタビューで述べている。最前線で働く医師も、国から特別の手当を受けているわけではないらしい。なぜなら、それらはすべて「志願」して行われたことだからだ。
これらはすべてつながっている。リーダーシップの不在と、責任の喪失に。
自らの発言がきっかけとなって、一人の人間を死に追いやったことを認められない総理大臣は、自らの責任で休業補償など、責任ある行動をすることは出来ないだろう。はなから責任を取る気などないのだ。一度、重要な問題についての責任を放棄したものは、ほかの問題でもそれを繰り返す可能性が高い。
じつは、こうした「責任の放棄」は、トップだけの問題ではない。財務省の改ざんに加担したものの多くも、彼ら責任を放棄することを選んだ。唯一、自死という最も悲しい選択肢を選んだものだけが、真実を語ることが出来たのだ。
我々にも2つの選択肢が与えられている。公文書の改ざんを見過ごし沈黙する人々と同じになるか、責任を取るべき人に取らせ、責任が存在する社会に戻るか、だ。
これは、思想や信条の問題ではない。もし、支持政党や、思想や、現政権へのスタンスだけで、一人の人間の死から目をそらすことが出来るのならば、それは、人間性の放棄だ。
我々は特攻を非難する。我々はナチを非難し、それに協力したものを憎む。我々は、ハラスメントにより死を選んでしまったことを悲しむ。
映画『シンドラーのリスト』に、こういう台詞がある。
「一人の人間を救うものは、世界の全体を救う」
全体主義の本質とは、個の喪失であり、人間を個々の存在から、全体の一部としてしまうことにある。
我々はまさに今、全体主義の入り口に立っている。その先に待っているのは、全てを「志願」させられる社会である。

「自粛は日本の美しさと絆だった」
最後にこれから起こりうることを書いておこう。
財務省の公文書改ざんの問題は、「上に無理やりやらされた、残念な思い出」として、記憶の片隅にしまわれていくだろう。
安倍晋三総理大臣は、もう何年か総理を続け、重鎮として自民党で重要な役職を占めるだろう。
財務省の偉い人たちも出世したままそれぞれの道を進み、幸せな余生を送る。特攻を編成した多くの佐官・将官たちが戦後穏やかな余生を送ったように。
そして、今何の補償もなく「自粛」をしたこの春の思い出もまた、「みんなのために、売上が減っても休業した店舗は、日本の美しさと絆だった」として永遠に記憶される。
現実とはそんなものだ、ということになってしまう前に、声を上げられる人は、声を上げなくてはいけない。我々の日々の生活が、連帯と絆の美しい記憶になってしまう前に。